雪うさぎの遊び場

しっちゃかめっちゃかな雑記ブログ

測量で日本地図を作った伊能忠敬が凄すぎて眠れない

先日、ふと誰もが歴史の教科書で見たことがあるだろうあの日本地図を思い出しました。

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それからあの地図が出来るまでのあれこれを勝手に考えて眠れなくなってしまったのでこの機会に調べてみようと思いました。

 

【眠れなくなるほどのあれこれ】

・なぜ日本は地図を作ったのか?(必要だったのか?)

・測量は一人で行ったのか?

・その間の給料は?

・完成まで何年掛かったんだっけ?

 

伊能忠敬に関する個人的感想】

・お家(江戸)に帰れなくて可哀想

・知らない土地を転々とするのはさぞ辛かっただろうに

・雨の日くらいはお休みしていてほしい

・測量家の人生は幸せだったのか?

 

 ※意外に測量の方法等については気にならない。

 

それでは気になる人だけ、レッツ・ゴー!

 なぜ日本は地図を作ったのか?(必要だったのか?)

 私は初めから政府が伊能忠敬に地図の製作を命じていたのだと思っていましたが、どうやら始めは伊能個人が地球の直径を知りたくて始めた測量だったらしいです。

伊能忠敬は50歳を過ぎてから興味のあった天文学を学び始め、その時に測量と天文観測の仕方なども勉強したそうです。

 

そして地球の直径の大きさを測るためには”北極星(位置の変わらない恒星)の高さを2つの地点から観測し、そこからの角度を比較して地球の緯度を求める”ことが必要らしく、それが分かれば地球の直径の長さも計算できるらしいです。(よく分かんないけど)

それで伊能は江戸と蝦夷(北海道)の二点から北極星の高さを観測しようと思いました。

 

しかし当時蝦夷に行くには幕府の許可が必要だったので「日本の役に立つために正確な日本地図を作りたいとい」う名目でその許可をGetします。

 

と、いうことであの日本地図は伊能個人の「地球の直径が知りたい!」という目的、もはや趣味の延長から始まった物だったんですね。

 

測量は一人で行ったのか?

始めは少人数でしたがお仲間がいたようです。

元は「地球の直径を調べたい」という伊能個人の趣味目的のためだったので最初の頃は少人数での測量でした。

 

その後日本地図を作るのに正式に幕府の命を受けることになるのですが、そこからは元々の内弟子や従者に加えて、幕府からの人員も増えたことにより”伊能忠敬測量隊”は20人ほどになったと言われています。

 

その他、測量が国家事業になったことで各地の大名や住民たちの協力もあったみたいですし、手分け測量も行われていたらしいです。

日本中を測量して回るのにみんなで手分けしなきゃそりゃ、やってらんないですよね。

 

幕府から測量隊がやって来るということで、各地の大名やお役人さん方は当時大変気を使ったみたいですよ(笑)

 

測量中の給料は?

伊能の趣味の延長の時(東日本の地図製作時)はほぼ自腹でした。

一説によると1400万を超えてたみたいです。でも伊能忠敬はとってもお金持ちなので大丈夫!

 

幕府プロジェクトになってからはもちろん資金の提供がありました。

馬や宿の提供なども含め協力してくれた人たちには決まった報酬を支払っていたらしいのでお金はおろか、衣食住に関しても全く心配はなさそうですね。

 

・・・と、思っていたのですがどうやらお金を持ち逃げする人がいたり、途中でどっか行っちゃう人がいたりして苦労もあったみたいです。

 

まあ、だよね

 

伊能忠敬に協力した人の子孫には2018年に感謝状が贈られるみたいですよ。

伊能忠敬に協力した人の子孫どこ? 1万人余の氏名公開:朝日新聞デジタル

 

完成まで何年掛かったんだっけ?

伊能忠敬が地図作りをスタートしたのが56歳の時です。

始めは江戸~蝦夷までの東日本の地図を作り、これに3年掛かりました。

 

そしてこの東日本の地図を幕府に提出すると、そのあまりの完成度の高さに「西日本の地図も作るように」という命が下ります。(鬼ですね)

 

ここから伊能の地図作りは晴れて国家事業となりました。

しかし江戸から西は思ったよりも広く(確かにね)地図を作るのは東日本の時よりもとっても時間がかかりました。

 

最終的に日本地図が完成するのには17年もの歳月を要したみたいです。

 

正直なところ早いんだか遅いんだか分からない!

でも17年間歩き続けるのが凄く辛いことはわかる!

しかもおじいちゃん!

 

・・・伊能は72歳でその人生を終えることになるのですが、実はこの時まだ地図は完成していませんでした。

 

最後は弟子たちが完成させ、そしてその地図を伊能のものとして発表したのです!(伊能が亡くなったことは隠していた)

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当時の測量隊の絆を感じますね。

 

今回測量に関する色々を調べるまでに抱いていた伊能忠敬に関する個人的感想

ここからはさらっと行きましょう。

お家(江戸)に帰れなくて可哀想

→これは本当に可哀想・・・

お供の人たちとのトラブルも結構あったみたいなのできっと気苦労も絶えなかったと思います・・・。

知らない土地を転々とするのはさぞ辛かっただろうに

→国家事業になってからはお付の人もたくさんいただろうし、町ごとの協力もあったようなのでこの辺は思ってたほどじゃないかもです。

ただ日本全国を回る中で、門前払いされてしまうような所もあったらしいです。

(T_T)

雨の日くらいはお休みしていてほしい

→どうやらあまりお休みはしてないみたい。

 しかしとっても悪い天気のときは部屋で仕事をしていたみたいです。

地図を描いていたのでしょうか?  

 

それと目撃者の記録に「測量隊はいかなる難所もお通りなされ候」といったものもあります。

なかなか命がけですね。

頑張りすぎです、伊能忠敬測量隊・・・

 

測量家の人生は幸せだったのか?

 →伊能はこの日本地図製作を自分の天命だと言っているので恐らく幸せだったのではないでしょうか。

それ以上に辛かったとは思いますが・・・

 

そうそう、測量家になり彼の最初の目的だった地球直径の大きさも知ることもできました!

伊能が導き出した答えは約4万Kmだったのですがこの数値は地球の外周と1/1000の誤差しかないとても正確なものでした。

さらに伊能が地図製作で歩いた距離も約4万Kmということで、なんと当初彼が知りたがっていた地球一周分の距離を歩いたということになります!偶然ですがなんか凄い!

 

君もこの万歩計で平成の伊能忠敬になろう!

伊能忠敬が地図作りを始めたのは56歳!

元気があればなんでもできる!

 

伊能は56歳から17年かけて日本地図を完成させるという偉業を成してしまったのですから、人生どうなるのか分かったものではありませんね。

やはりやりたいことに一生懸命取り組むことで、人にはとてつもない大きなパワーが沸いてくるのかもしれません。

 

しかも伊能忠敬を見ている限りでは年齢は関係なさそうです。(当時の寿命は今よりも随分と短く”人生50年”と言われていました。)

 

私たちも測量隊を見習って真面目にコツコツとなにかを積み重ねていくことで将来大きなことが成し遂げられるかもしれませんね。

普段年齢や環境などを言い訳にやりたいことを躊躇してしまうこともありますが、こうしてやる人はやるわけだし、そんなことは小さな問題なのかもしれないと今回伊能忠敬を調べていて思いました。

 

もしかしたら今後、伊能忠敬のように突然第二の人生が始まる人もいるかもしれないですし、そう思うとやっぱり人生なにが起こるか分からなくて楽しいですね。

 

しかし50過ぎてからはさすがにきついな・・・。

 

やはり測量で日本地図を作った伊能忠敬は眠れなくなるくらい凄い人でした~。